連載2年間にわたり贈られた4期生ライターMの在校生コラム、最終回。
3年間の軌跡と苦悩、そして気付いたことをそのままの熱情で描き出しました。
彼女が紡ぐ集大成の実話に、どうぞ心を預けてください。
- 目次
この連載では、インフィニティ国際学院の在校生が「等身大」「もがきながら成長している生徒の軌跡を残したい」という生徒の決めた大切な想いを軸に、スタッフや職員は修正を加えず、ありのままの生の言葉を掲載していきます。
一般的なレールに沿った公教育の学びではなく、日本と世界を舞台に、常に自分自身と向き合いながらあえて大きな挑戦を繰り返している彼ら。
テストや評価指数ではなく、「答えのない人生と社会の問い」に向き合う学生生活。そんな在校生の一人から毎月リアルタイムで届く想い、成長の軌跡をぜひ毎月ご覧ください。
◼️アーカイブ記事一覧(最新3件)
始めに
こんにちは!在校生ライターのMです!
ライターMとしてコラムを更新するのは、今回が最後です。
インフィニティ国際学院で過ごした3年間と在校生ライターとしてコラムを書いてきた2年間を振り返っていきます。
バックグラウンド
インフィニティでの生活を振り返るにあたり、まずは私のバックグランドについて軽く触れようと思います。
インフィニティ入学前の私は、はたから見たらどこにでもいる田舎の中学生でした。
正義感が強くて男子に注意をしているタイプ。
好きなものはそれなりにあって、少しだけ前に出るのが得意な普通な子。
平凡ながらも、海外への興味や容姿へのコンプレックス、どことないちょっとした窮屈さから、あの場所に留まりたくないと思っていました。
しかし、向上心があるだけで、なにをしてもずっとずっと自信がないままでした。
なぜかは、はっきりと分かっていました。
それは、両親の離婚です。これは、私のすべての原点だと思います。
私がいくら泣いて願っても、離婚の話は進み続け、両親の喧嘩は止みませんでした。
この経験から、自分がどれだけ願っても叶わないことがあると知り、自分の立場からしかものを言えない大人の汚さを目の当たりにしました。
自分自身を含めて、誰を、何を信じていいのか分かりませんでした。
そんなタイミングでインフィニティ国際学院の存在を知り、運命のようなものを感じて受験を決めました。
1年次
1年目で経験することは全て新鮮でした。
あらゆることが鮮烈で、どんなことでも体力がいりました。
ものすごい高低差のジェットコースターに乗っているみたいでした。
「何か掴んでやるんだ」という心意気だけでもがいていました。
比較と焦り
インフィニティに入学するまで、他人と自分を比べることは、自分を成長させ、自分を保つ手段でした。
生徒会役員に立候補したり、周囲から指摘されない程度に平均以上の成績をとっていたりしました。
他人と自分を比べる時に、内心『自分のほうが上だ』と感じられるようにしていたのだと思います。
しかし、インフィニティではどこを比べても負け続きで、焦って少し考えてみては自己肯定感が落ち、ネガティブになることが多くありました。
また、ここには絶対的な評価指標もなければ、自分の中で誇れるものもなく、立ち上がれなくなって行きました。
これまで満たされなかった範囲まで自分を認めてもらいたくて、なにかを掴みたくて、焦って、でも動けなくて、動けない自分が嫌になって…。
頑張りたいのに頑張れなかったし、頑張っても「頑張った」と自分は認められませんでした。
「得意」や「好き」が分からなくなることもありました。
何か指摘される度、すぐに、取り繕っていた自信ががすべていなくなりました。耳が痛いアドバイスもたくさんありました。
原因こそ明確なものの、対処できていないからこそ、アドバイスや期待に答えられないし、成長できないことや動けないことが悔しくてもどかしい時間が続きました。
手放したくない経験
多くの焦りの中でも、みんなと笑いあった時間や、研修を通して見た景色が、自分の中に鮮明に残り続けました。
蒸し暑すぎるフィリピンで見た海や、
カンボジアの村で腕をつかんできたおばあちゃんの期待の籠った瞳、
電波の届かない西表島の端っこで焼いたクッキー…。
ここに書ききれないほど、多くの経験が自分自身を作っていってる感覚がありました。
だから、自信がなくて打ちのめされる日はあれど、そういった思い出を大切にしたいと思ったし、そんな素敵な時間をこれからも作っていきたいと思うようになりました。

2年次
2年目は慣れをもって挑戦できる1年になると思っていました。
自分自身になにも誇れることがなかったので、資格の1つや2つ取って自信をつけようかなんて考えていました。
しかし、すぐにその計画が崩れる出来事が起きました。
優等生タイプだったはずの私が経験した不登校
2年次が始まってすぐ、研修に参加できなくなりました。
それまで取り繕っていた自信や体力が、日々の疲れとDAY1(※)の準備で底を尽き、なにも考えられなくなってしまいました。
数日休んで研修に合流しても、自信のなさ故に発言が怖くなって、結局自室に籠ることになりました。
中学卒業までは、いわゆる不登校なんて考えられないタイプだったので、休んでしまう日が続けば続くほど、自己嫌悪に陥っていきました。
※インフィニティ国際学院の入学イベント
生徒が準備と当日の進行を担当する。新入生はもちろんのこと、生徒や職員など、「インフィニティに関わりを持つ全ての人の新しい一年が始まっていく日」という意味合いが込められている。
森プロジェクト
潰れてしまったタイミングに行われた研修が「森プロジェクト」でした。
「森プロジェクト」とは、北海道上川町から特別に町有林の一部をお借りし、生徒がその管理・活用に取り組むというものです。
自分たちの手で様々なものをクリエイティブに作り、森を居場所にしていく課題解決型プログラムを実行しました。
2年次は、クラウドファンディングで資金を集めたのち、ログハウスを建てました。
しかし私は、精神的にきつかったことに加え、プロジェクトの特性上、アクティブさやタフさが求められ、継続的に活動に参加することが難しい状況になってしまいました。
そのため研修にほとんど参加せず、自室で休養を取る機会が多くありました。
私が回復していくにつれて、他の生徒はどんどん疲れていっているのが分かりました。
そんな中で、上川町長へのプロジェクト内容の説明をする機会と、その様子を北海道の地元テレビが取材をする日がありました。
プロジェクトの進行度とみんなの疲れを考えると、説明文を用意したり、取材対応をしたりするような気力は残っていないようでした。
その状況をみた私は、「インフィニティでの私の役割ってこういうことだな」と感じ、その担当を引き受けることにしました。
当初は、消去法的な形で役割が決まってしまったことに抵抗感がありましたが、今ではそれもまた役割だと割り切れるようになっています。

在校生ライター
在校生ライターのお誘いがあったのもこの時期でした。
文章を読むことや誰かの言葉でハッとさせられる感覚は好きだけど、たくさんの本を読んできたわけでも、文才で溢れているわけでもありませんでした。
それでもこのチャンスを逃したらいけないと直感的に分かったので、その場ですぐに引き受けることを決めました。
自分が好きなことが得意になって行く感覚があったし、インフィニティでの役割も分かっていきました。
文章を含めて自分の好きなことに存分に埋もれて、自分としっかり向き合って、充電することができました。
そうして少しずつまた研修に参加できるようになりました。
休載
しかし全てがスムーズに行くわけではありませんでした。
2023年10月、書いたコラムがボロボロでした。
せっかく貰った大事な機会だから、止まってしまったらいけないと思って書いてみたけど、思いが乗っていなくて、職員からたくさんの助言を貰いました。
それとなく休載を勧められても、前向きに捉えられなくて更新日ギリギリまで悪あがきをしました。
それでもいいものが書けなくて、結局休むことになりました。
何を書いたら私もみんなも満足できるのか分からなくて、深い霧のなかを歩いているようでした。
時間をかけて自分としっかり向き合って、たくさんの人に助けてもらったことで、やっとの思いで一本書ききることができました。
今では休載して良かったと思えています。
短絡的に休載がいいと知ったというより、適切に休息を取り、目的を見直すことの重要性を理解しました。
戻ってきた「旅」の感覚
そうやってリハビリのように様々なことをして、自分の役割が分かってきたころ、ヨーロッパ研修がありました。
フランス、スペイン、イタリア、スイス、ドイツの五か国を巡る旅でした。
メンタルは戻りつつあったけど、研修を繰り返しているうちに「旅」へのハードルがあがっていっていたタイミングでした。
また、「コンフォートゾーンを抜けたチャレンジ」をするようにチューターから言われ、戸惑いました。
研修の序盤で体調を崩してしまったのでいつも通りには頭が回らなかったし、なによりどんなチャレンジをしたらいいか分かりませんでした。
考えを巡らせるうちに、
「それぞれの国や地域をモデルに短編を書く」と
というアイデアを思いつきました。
これを思いついてからは、また全てを新鮮な視点で見ることができて、日常化していた旅がまた非日常へと戻っていきました。
さらに、チューターとの対話を通して、これまで自分の中で素直になれず否定してきたこの環境や仲間への尊敬とか愛着みたいなものに気付いて、見える世界が少し変化しました。
インプットとアウトプットを早いスパンで行ったことや、大きな気付きがあったことで、ワクワクする旅を作ることができました。

3年次
インフィニティ国際学院での3年目は、研修に参加するのもよし、受験勉強をするのもよし、就職活動をするのもよしです。
それどころか、起業したっていいし、旅をしてもいい。
とにかく自由に自分のやりたいことをやる一年です。
「好き」を突き詰める
だから私は好きなことで一年を始めました。
DAY1参加後にすぐ盛岡に向かい、エステティシャンの集う大会であるエステティックグランプリのボランティアをしに行きました。(詳しくはこちらをご覧ください)
高校一年生の時からボランティアとして参加していて、司会をさせていただけることになったので、またとないチャンスだと思い、職員に話を通したのを覚えています。
また、「全国予祝キャラバン」というイベントの青森公演のボランティアをさせていただいたり、参加したいイベントと研修の日程が被っていたらチューターに相談して日程調整をしてもらったりと、やりたいことをできるだけ実現してきました。
参加したニュージーランド研修や、友人と行ったベトナム旅行も同様です。
ずっと行きたいと思っていた場所にたくさんの人の協力のおかげで行くことができました。
どれもが貴重な経験で、その選択をしてきて良かったと心から思っています。

就活
やりたいことをやりながらも、行き先を決めなければいけなかったので、夏の終わりから就職活動を始めました。
とんとん拍子で進んでいって、すぐに内定をもらえるだろうと思っていました。
しかし、高卒という条件であること、自己理解が進んでいなかったことが原因で苦労しました。
助言をもらっては変な解釈をして勝手に傷つき、不採用通知が来ればメンタルがやられて、何度も心が折れそうになりました。
しかし、2月上旬に内定を頂き、無事に就職活動を終えることができました。
自分の好きな美容や文章の領域で就活を進めたことと、多くの学びをしっかり生かせたことでなんとか走り切ることができました。
いつのまにか
「人生を幸せな方向へ舵を切れる要素を自分の中に多く持てる1年にしたい」
今年度の一番始めのコラムにこんなことを書いていました。
また、DAY1でもこのことを話した記憶があります。
この1年間、できたことはたくさんあったし、同じようにできなかったこともたくさんありました。
そしてこれは、できたことの1つです。
些細なことでも、自分の口角が上がるようなことを拾い集めていくことで、前を向ける日が増えました。
今年度のDAY1でもコラムでも言葉にしたこのフレーズが、いつのまにか満足行く形となっていたことを嬉しく思います。
巣立ちの会
そうやって日々を過ごすうちに、巣立ちの時がやってきました。
インフィニティ国際学院では「卒業」という言い方はしません。
生徒も職員も、「いつでも戻ってきていい」「戻ってきてほしい」という思いを込めて、「巣立ち」と表現しています。
そのため、一般的な学校の卒業式にあたるイベントは「巣立ちの会」としています。
そして、巣立ちの会では、「最終報告会」と題して、卒業生一人一人がそれまでのインフィニティでの学びを発表する時間があります。
全ての集大成であるこの時間を作るにあたって、一番強く思ったことは
「自信が見えてほしい」
ということでした。
これまでインフィニティにいた私に関わった人なら、どんな時期だったとしても多少の自己嫌悪や自信のなさを感じていたはずです。
でも今の自分は、それこそが大きく確実に成長した部分だから、それをみんなに見てほしいと思いました。
アイデア出しから考えると、1月下旬から準備をしていました。
3年間を10分にまとめるなんて難しすぎて、何度も頭を抱えました。
これまで温めていたアイデアに加え、新しいアイデアもたくさん思いついて選択にも困りました。
いつも、アイデアがいくつかある時は原稿を3つくらい書いてみて、一番スムーズに進むものを採用していましたが、今回はそれをしても原稿が2つ出来上がってしまい、困惑しました。
また、オーディエンスの属性が様々で、それぞれ私に対しての前提知識が違うため、どこまで話せばよいのかに悩みました。
とにかくたくさん考えて、とことん悩んで、ようやく10分ちょっとのプレゼンを完成させました。
前日は凄く不安になってしまったし、直前は久しぶりに緊張してしまいましたが、たくさんのお褒めの言葉やうれしいお言葉を頂くことができました。
みんなにとって何か一つでも残るものがあったこと、影響を与えられる存在であったことがなんだか誇らしいです。

振り返って
時の流れは本当に早くて、この3年間は驚くほどのスピードで過ぎ去って行きました。
2年次が終わるころ、あるインフィニティ生に
「もしも2年前のあの日に戻ったらどうする?」
と聞かれたことがあります。
あの日とは、1年生の時、フィリピン研修のホテルでそのインフィニティ生と話し込んだ日のことです。
悔やんだ多くのことはあって、
それを避けながら違う選択をするかもしれないけれど、
今と大きく逸れた道は歩きたくない
それを問われたあの時、こう思ったし、
今でもこう考えています。
それほど良い旅でした。
良い仲間と良い時間を過ごせました。
そして、貴重で美しい日々を3年間積み上げてきたことで
「私は大丈夫だ」
と思えるようになりました。
まだなにがあっても揺らがないわけではないかもしれないけど、たくさん期待したからこそつくようになった諦めと、全ての経験をもとにした自己肯定感を武器に歩んで行こうと思います。
私の手の中には、楽しい思い出や温かくて確かな感情も、冷たくて辛い経験も全部ある。
だからこそ私はもっと強く、優しく、賢く、美しく、幸せになれる。
私がたくさんの人に私の世界を少しずつ変えてもらったように、
私もきっと誰かの世界を少しずつ変えていく。
そんな10年後が楽しみです。
私の旅はここで終わりじゃない。

終わりに
最後までお読みいただきありがとうございました。
在校生ライターとしての活動を通して、継続的に文章を書く機会を頂けて、とても貴重な経験になりました。
この場を借りて、多くの方にお礼を言いたいです。
まずはこれまでずっと支えてくださった事務局のちかさん、お話をくれた前広報担当の方。
私に書くきっかけと続ける環境を作ってくれてありがとうございます。
休載したときに助けてくださった神宮さんは私のインフィニティでの3年間の文章力向上を語る上で欠かせません。ありがとうございます。
ずっと見守ってくれた職員のみなさん。
たくさん話を聞いてくれて、いつでも前を向かそうとしてくれてありがとうございます。
ずっと一緒にいた生徒のみんな。みんなとの時間がなければ、ここまで湧くように文章は書けていませんでした。本当にありがとう。
この3年間で関わってくださった全ての方々。
皆様の一言一言がなければ、今の私はいません。
本当にありがとうございます。
読者の皆様、これまで読んでくださり、コメントをくださり、ありがとうございました。
また、いつかどこかで。

📹最終プレゼン映像
GALLERY
PROFILE

インフィニティ国際学院 高等部 在校生ライターM
インフィニティ国際学院 2022年4月入学 4期生