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■この在校生コラムは【毎月28日】に更新予定です。
この連載では「等身大」「もがきながら成長している生徒の軌跡が見えること」という彼女の決めた大切な想いを軸に、スタッフや職員は修正を加えず、ありのままの彼女の生の言葉を掲載していきます。
一般的なレールに沿った公教育の学びではなく、日本と世界を舞台に、常に自分自身と向き合いながらあえて大きな挑戦を繰り返している彼ら。
そんな在校生の一人から毎月リアルタイムで届く想い、成長の軌跡をぜひ毎月ご覧ください。
始めに
こんにちは!
インフィニティ国際学院高等部4期生のMです!
現在、私達インフィニティ国際学院高等部は夏休み期間中ですが、私ライターMの在校生ストーリーは更新し続けます!
今回は7月2日から7月14日の期間に行われたタイ研修についてです。
実は、3年半程前に家族旅行でバンコクを訪れたことがあり、その思い出が今でも色濃く、素敵なものとして残っています。
そのため、インフィニティ国際学院の研修として行くタイのチェンマイとバンコクは、私がどんなことを思う機会となるのか興味がありました。
その一方で、将来への不安と、何かに挑戦して傷つく恐怖を抱えている今、研修を良いものとして受け取れない予感もしていました。
そんな複雑な感情で向かったタイでどんな事を思ったのか。
今回はそんなことを綴っています。
模倣
タイ研修は自分にとってのリハビリ的な期間にしようと決めていました。
冷静に現状を見ても、そうでなくても、休みが必要だと感じ、余裕だけを求め続けた層雲峡マインド研修ラストの2週間。
その直後にあった研修だから、すぐには頑張り始めれないし、「頑張って〇〇をしたい!」といった目標もない。
であれば、普段の生活を取り戻していくところから始めても良いのではないかと考え、リハビリであることを前提に置いて研修に参加することにしました。
考えすぎてまた落ちていくのは嫌だから、あまり考えすぎないように普段の生活は過去の自分を模倣しながら生活していました。
そんな中で、研修の一環として企画されていたのがアワージャーニーです。
5人が2つの班に分かれ、チェンマイとバンコクで計3日間、「宗教が現地の人の生活や社会構造にどのような影響を与えているのか、1人ひとりの興味関心に従って自由に探究する」という内容のものでした。
リハビリ的な期間にすると決めていた私は、同じチームになった2人の目標やゴールを実現するために支える立場で在ろうと決めました。
最初は頑張り切れないからと消極的な理由で決めた目標でしたが、次第に支えるとはどういうことなのか、どうあればいいのかといった疑問が湧いてきて、名目こそ変わらないものの、積極的な目標へと変わっていきました。
支えるとは
そもそも、支えるとはどういう状態なのでしょうか。
言葉が持つ意味を明確にするために、類語も含めてネットで調べてみると次のように出てきました。
・支える
1.物が落ちたり倒れたりしないように、つっぱってくいとめる。
2.もちこたえる。維持する。くいとめる。防ぎとめる。・サポートする
支持(する)、支援(する)、援助(する)、補助(する)、扶養(する)、支持者、後援者、などの意味を持つ英単語。・応援する
味方となって励まし、また、助けること。また、その者。加勢。
自分自身としては「支える」という言葉は「その人(達)の願いや目標、夢を叶えるために協力する」というイメージを持っています。
条件
なぜタイ研修中の私は彼らを支えることが出来なかったのでしょうか。
タイ研修の後半からこの記事を書いている今までの約2週間程、少しづつ考えを進めてみた結果、人を支えることやサポートすること、応援することには大きく2つの条件が必要だと考えるようになりました。
条件Ⅰ 共感を得られたり応援したいと思わせたりする思いがそこにあるか
誰かを応援したいと思ったとき、必ずそう思わせてくれる理由があるはずです。
高校球児がなぜ応援されるのか。
クラウドファンディングでなぜ資金が集まるのか。
そこには人の心を動かす当事者の思いがあります。
何かを成功させるときに原点になるのはこれです。
当たり前ですが、思いというきっかけが無ければ何も始まりません。
そのため、誰かを支えるとき、誰かに支えられるときに必要な条件としてまずこれを上げます。
条件Ⅱ 支える側の余裕
クラウドファンディングを例にすると、自分の家計が苦しい状態ではいくら思いに賛同しても、お金を出すことは難しいはずです。
今回は自分の余裕のなさが原因で2人を支えることが出来なかったと感じます。
消極的な目標だったはずなのにそれが積極的な目標に変化していきましたが、タイ研修中の私にその余裕やスペックは無かったように感じられます。
支えること、サポートすること、応援することは人間関係の1つの形であると思います。
そのため、双方が整っていて初めて「支える」という行為が良好な関係の一部として成立すると考えています。
前進
インフィニティ国際学院に入学してから、「誰かを支える」という目標や方向性で動いてみたのは初めてでした。
だからこそ上手くやりたい気持ちがあったけど、私はそのやり方を知らなかったし、余裕がありませんでした。
今回の経験を端的にまとめるとこのような具合かと思います。
人を支えるという行為を自分が出来なかったという事実はもちろん、リハビリ的に定めた目標を達成できなかったことが心残りです。
せっかく動き始めたのに、出鼻をくじかれたようなそんな感覚です。
全ての挑戦が上手くいくわけじゃないなんて、そんなこと分かっているけど、渦中にいたらそんな冷静に判断できないのが実情だと思います。
経験としての要素が強い失敗をした今、やるべきことは、次どうしたらいいかを考えることです。
今度、誰かを支えたいと思ったときに何ができるか。
私は次のように考えます。
Ⅰ 条件が揃っているかの確認
揃っていないなら揃えたいほどの熱量があるのか自分に問い直す。
先ほど述べた、その人の思いと自分の余裕という2つの条件が揃っているのかを確認するのは必須だと思います。
もし揃っていなかったとしても、自分で揃えることは可能だと思います。
ただ、重要なのはそれをするほどの熱量が自分に備わっているかを確かめておくことです。でないと、失わなくてもいいものまで失ってしまうと考えます。
Ⅱ 目標の解像度を上げること
最終目標は何なのか。それを達成するために今日何をするべきか。
漠然と目標を掲げるだけでは、目標達成できないのは少し考えれば分かることだと思います。
今回の私は、余裕がなくてこの初歩的なことを見落としていました。
次回以降は自分が描くゴールから逆算し、行動することを忘れないよう心がけたいです。
Ⅲ 他人も関わる目標なら、その人(達)が何を望んでいるか確かめる
自分にとっては大きな目標でいい考えでも、当事者はそれを望んでいない場合があります。
自分勝手であったり、独りよがりであったりしないこともまた、目標達成や人を支えていく上で重要だと思います。
楽しめていたか
「Life is enjoy. No second chance.」
この記事を書いている今、タイ研修の最終発表準備に行き詰った私に、滞在先のホテルで出会った人がかけてくれたこの言葉が響いています。
今回の研修はもちろん楽しめた瞬間もありましたが、アワージャーニーが関わると悩んでばかりだった気がします。
余裕がないのに目標を立てて、それによってまた余裕を無くしていく負のループでした。
余裕がないときに休みと楽しさをとり、ここぞというときに立ち向かっていけるような判断力がほしいなと思っています。
終わりに
最後までお読みいただきありがとうございました。
「支える」という挑戦は後悔が多いものとなりましたが、別の見方をすると初めてだったからこそ新たな視点を得たとも考えられる気がします。
この経験がどう変化し、どんな意味を持つようになるのでしょうか。
言うだけタダですから、この場でこの経験が良いものになることを期待しておきたいと思います。
どうかこの活動が私と読んでくださる方にとって何かのきっかけになり、
いつか「意味があった」と笑って振り返ることができる、確かな道になりますように。
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PROFILE
インフィニティ国際学院 高等部 在校生ライターM
インフィニティ国際学院 2022年4月入学 4期生