NAVIGATOR講師紹介

  • 学院長 | 大谷 真樹

    元八戸学院大学学長

    2018年3月6年間務めた大学の学長を退官する時に感じたのは任期満了の達成感以上に激しい「焦燥感」だった。
    確かに遅ればせながら日本の教育も変わりつつある。しかし、断言しよう。日本の教育の改革は、世界の変化のスピードには全く追いつけていない。
    激しい変化は同時に、かつ、まだらに世界各地で起きている。従来型の体系だった教育システムは世界へと追いつく術もない。
    教育現場は機能不全を起こし、教員もその現実に晒されながらも見て見ぬ振りをせざるを得ない。それが日本の教育の現場の現状だ。

    ルールを守ることを教えて来た日本の教育で育った若者は、ルールを変えるチェンジメーカーたちの登場活躍に呆然と立ちすくすのみだ。

    国の定める指導要領にもとづいた知識を均一に学ぶことで高度な学習に耐える基盤を作り、難関の受験を突破し、専門教員の元で高等教育を受け、日本国だけのルールを守り企業に選ばれる日本型のキャリア形成。
    この大きなシステムはここ100年変わっていない。特殊なこのシステムは、ある意味日本は人材の多様化流動化に関して現在なお鎖国状態のままであると言える。
    いや確かに意思があれば世界へ飛び出す機会はあるのだが、異質を排除し、均質性を求める教育の結果、失敗を恐れる集団となった若者からは、その勇気は削がれてしまっている。
    グローバルの大きな変化の中、ようやく大学人の中では、これからの変化を乗り越えられる人材のスキルとして、多様性、コミュニケーション能力、クリティカル思考能力、創造性が求められると遅ればせながらの改革が始まっている。

    しかし、大学からでは遅い。長くベンチャー経営から大学改革を経験した私の結論である。高校での学ぶ目的と手法、場所、先導する先生の役割が問われ再定義が求められる。
    日本の教育の良き部分を残しながら、同時に「世界をみる」「世界を知る」「日本を知る」「自分を知る」ことが高等教育に向かう手前の大きな動機付けの機会として不可欠である。
    かつては学校の授業以外に様々な行事で社会を知り、書物で偉人と出会い大きな学びの動機付けを得ることができた。しかし現代社会は常に変化し続け、立ち止まることさえ許さない。

    変化を求め世界を旅をしながら、チームで語り合い、フィールドで目の前に起きている変化の現実から学び合うことが必要だ。
    「知る」と人生の方向性を探し出す大きな「動機」の発見の旅。高等教育の前に要求される私たちの提案する新しい中等教育である。

    ▶︎大谷学院長・著「世界で学べ」のダイジェスト版はこちらからご覧いただけます。

    1961年八戸市生まれ。学習院大学経済学部卒業。NEC勤務を経て、株式会社インフォプラント(現 株式会社マクロミル)を創業。2001年に起業家のアカデミー賞といわれる『アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー・スタートアップ部門優秀賞』を受賞。2008年に八戸大学客員教授、2010年に八戸大学・八戸短期大学総合研究所所長・教授、2011年に八戸大学学長補佐、2012年から2018年3月まで八戸学院大学学長を務めた。大学では「中小企業・ベンチャー企業論」「イノベーションマネジメント」「新農業ビジネス」等の科目を担当。社会人講座「起業家養成講座」の主任講師も務め、数多くの起業家を輩出している。

  • 顧問 | 木村 太郎

    国際ジャーナリスト

    私が物心ついて初めて海外へ出たのはフィリピンでした。大学へ入っても満たされない気持ちの時に、姉に誘われてバギオで開催された国際会議の手伝いという形で参加しました。
    日本はまだ敗戦の傷痕が残っていて、出発した羽田空港は米軍の管轄下にありました。そこからプロペラ機で約10時間後に到着したマニラは光り輝いて見えました。

    フィリピンでは日本人であることを隠すように忠告されました。戦争中に日本が占領していたことに反感が強いので何をされるか分からないと言うのです。
    幸いフィリピンは7000もの島から成っていて、当時標準語のタガログ語を喋る人は30%とも言われたので英語でごまかすことができ、お陰で英語にも慣れるきっかけになりました。

    国際会議はMRA(道徳再武装)という世界的な団体が開催したもので、各国から集まった代表団の中には通訳や舞台裏の仕事をする若い人も数多く参加していました。
    驚いたのは、彼ら彼女らが「戦後のアジアのあり方」や「欧州の融合」などということをことも無げに口にしていたことでした。

    「この連中に負けてはいられない」

    そうした思いが強まり、帰国するのを止めアジア諸国に派遣されたMRAの使節団について行くことにしました。その使節団には芝居もあり私は舞台裏の仕事をしながら、フィリピンから台湾、香港、ベトナム、ビルマ(現ミヤンマー)インドと周り、各国の若い人たちとも交歓しながら最後は欧州まで行ってしまいました。

    その1年間、見聞を広めただけでなく世界の同年代の若者と交友を深め、言ってみれば世界にライバル達を作ることによってその後の私の人生の「はげみ」にもなりました。必要に迫られて英語が使えるようになったことも収穫でした。
    私が今ジャーナリストとして恥ずかしくない仕事ができているとしたら、この若い時の体験のおかげにほかなりません。

    若い時の決断は、人生に大きな影響を残すものなのです。

    1938年米国カリフォルニア州生まれ。1964年慶應義塾大学法学部卒業後、NHKに入局。ジュネーブ支局、ワシントン支局特派員などをつとめた後、「ニュースセンター9時」のメインキャスターに。1988年にフリーとなりフジテレビ系「FNNスーパーニュース」など人気番組に多数出演。現在も「Mr.サンデー」のコメンテイターをつとめている。

  • 顧問 | 村上 憲郎

    元Google Japan 代表取締役

    文科省は現在、明治維新以来150年続いた日本の教育の大改革を進めつつある。

    それは一言で言うと、昔からよく知られた問題の、その正解をたくさん覚えた生徒を優秀だとする教育から、まず自ら問題を発見し、その正解があるかどうかもわからない問題の答えを求めて考え抜く生徒を育てる教育への転換だと言える。 しかし、その実現は、それこそ、文科省からの指示を「正解」だとして待ち受けているだけでは、無理である。日本の教育に携わる各々が、自ら、その答えを求めて様々な試みに挑戦し、多様な解に辿り着く中から、実現されていくことに成ると思われる。 インフィニティ国際学院の試みが、その重要な解の一つとなることを期待しております

    1947年大分県佐伯市生まれ。京都大学工学部卒業。2003年4月、Google米国本社 副社長兼Google Japan 代表取締役社長としてGoogleに入社。日本におけるGoogle全業務の責任者を務める。2009年1月Google Japan名誉会長に就任、現在は同社の経営からは退き、村上憲郎事務所を開設。Google入社以前には、2001年にDocentの日本法人であるDocent Japanを設立。1997~1999年の間は、Northern Telecom Japanの社長兼最高経営責任者を務めた。

  • 顧問 | 大村 貴康

    日本国際化推進協会代表理事

    地球をキャンパスに自分にあった学びを得られる新世代の学び場がいまここにある。
    世界には多種多様な最高の舞台がたくさん存在している。本当の自分が見つかる。
    そんな学校が今まさに日本に誕生する。世社会に合わせた人生ではなく、自分に合った人生にする時代。世界中の最高の仲間たちと地球規模の学びを得られるチャンスがここにある。

    1989年大阪府生まれ。獨協大学在学中に、「世界一志友プロジェクト」を創設。第1期生として共同起業家と2人で世界27カ国52大学をめぐる。2011年に同大を卒業し、株式会社ソフトバンクに入社。2年半ほど海外営業を経験した後に退社。一般社団法人日本国際化推進協会を設立する。2016年春まで、文部科学省の官民協働海外留学支援制度「トビタテ留学!JAPAN 」にも参画。

  • 顧問 | 武内 隆明

    Teach For Japanアドバイザー
    山梨学院大学(iCLA)学部長補佐

    同じアジアでも、電気もない生活を強いられ、未成年の子供が、重い水を毎日運んで来なくてはならない家庭は決して少なくない。
    幸い、殆どの日本の家庭では、いつも、スイッチを入れれば明るい電灯が、蛇口からはお湯が、そして、デパ地下に行けば美味しい食べ物が溢れている。
    たまたま運よく先進国に恵まれたタイミングで生まれた若者は、それを当たり前と享受しっぱなしでいいのだろうか?

    欧米の多くのエリートは、社会に貢献する必要性を体得している。 果たして、日本の若者も、将来のグローバル・リーダーになる為に、今、何をどの様に修得したら良いのであろうか?
    特に、人生100年もの時代に、どんどん加速化されているIT/AIの進歩とのバランスの舵をとりながら、もはや経済大国と言えぬ日本に居て・・・。
    それは、外国語の習得は当然として、絶えず多様性に挑戦し、異文化で自らを切磋琢磨し続ける事によって、幅広い教養と深い知恵を培っていくしかない。

    インフィニティ国際学院は、まさにそれを可能としていると確信している。

    1961年大阪で生まれ。小学校は父の仕事の都合でフィリピンへ。東京で中学校と高校は卒業し、大学は、全米トップのリベラルアーツ・カレッジのマサチューセッツ州にあるWilliams Collegeを経済学と心理学のダブル専攻で卒業。1984年に野村證券の国際調査部に入社。その後、トロントとNY駐在を経てから、ウェリントン・マネジメントのボストン本社、東京のゴールドマン・サックスの資産運用部門やUBS信託銀行などの外資系金融会社の要職を歴任した後、プルデンシャルFA証券の代表取締役に。2003年に独立。東京で投資会社を経営しながら、2006年から上海に駐在し、経営コンサルタント会社も起業する。2012年に帰国し、教育業界に転身し、認定NPO法人のTeach For Japanや、山梨学院の新設学部のInternational College of Liberal Arts (iCLA)のサポートに奔走し、現在に至る。既に80ヵ国以上も訪問しており、今後のライフワークは、アジア(特に日本)の若者へのリベラル・アーツ教育の啓蒙活動。